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金鳥山→保久良神社由縁
https://yamauo1945.sakura.ne.jp/minwa.html
https://4travel.jp/travelogue/11336013
https://jocr.jp/raditopi/2022/01/27/409689/
https://www.penguinwax.co.jp/penguinnews/images/no241_2021.pdf
https://www.city.ashiya.lg.jp/gakushuu/shishi/documents/shishi51sousetsu.pdf
祭神・子孫から辿る
http://amanokuni.blue.coocan.jp/yamato.htm
http://amanokuni.blue.coocan.jp/tumori-owari.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E3%81%AE%E5%AE%9D%E6%AE%BF
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%94%B2%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8E%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E5%BD%A6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE
つまり
・元の祭神=椎根津彦命/倭宿彌命(倭国造)
・建立は倭連を賜った倉人水守ほか18名による
ただしほくらの元となった神成石など縄文・石器
時代より磐座など神祇後あり
・倉人水守は椎根津彦命を奉る海部氏族と思われる
倉人は高倉より、水守は膳部(かしわで)に
繋がる可能性も。ただ膳は後の高橋/安曇氏のため
尾張/海部などと異なるかもしれない
・椎根津彦命は辿ると籠神社(海部氏奉社)に通ず
ただ水守の関連である阿波/吉備海部と籠神社の
丹波海部氏は少し違いがあるやも?
椎根津彦命の係累を辿ると
(曾祖父)天火明/彦火明命
(祖父 )天香山/高倉下命
(父 )天村雲/大沼主命
高倉下命は尾張/津守/海部/丹波氏の祖
天火明命も饒速日命と同一とする向きもあり
そちらは物部/穂積氏の祖。狭すぎるやろ?
・籠神社では天火明命と並んで蛭子神社の
祭神の一柱となっている
・面白いのは保久良神社創設において元々
珍彦だったものを椎根津彦と神格を授けた
ことが保久良さん創立の所以となってる点
・三韓征伐関連でいえば住吉社も関連
住吉三神は黄泉比良坂よりの禊で生まれた
底/中/表筒男神を祀る神社
三韓征伐による住吉大神の神託で建立される
(摂政元年とすれば201年ごろだが?)
・元々保倉神社の創立も「三韓役の戦利武器を
収蔵」と「祖神の祭祀」があげられてるが
前者は200-300年ごろのこと、後者は769年と
なっており正直時期が合わないw
・一番重要なのは実は保久良神社の裏手にある
金鳥山。石の宝殿は個の近くなのだがこれも
またウサンクサイ名前。
六甲の金鶏伝説だが、三韓征伐の後六甲の山々に
宝物を埋めたというお話がありそれが甲山の
甲や相次いだ反乱の首謀者の首やら、最後が
雄雌の金鶏。基本的には唐櫃のヌノドの森が
有名で、逸話では石の宝殿近くのミツバウツギ
の木の根元に黄金の鶏を埋めたと言われている。
そしてそれを掘り起こしたりすると災厄が…
というお話もセットにw
黄金伝説といえば近場にも。
阿保親王の黄金瓦伝説とか打出の竜の小槌の民話とか。夢があるよねw
https://esevalue.com/kanatsuyamakofun/
http://nalcashiya.jp/?page_id=72
まぁどちらにせよ神功皇后もその子応神天皇もかなり眉唾が多いので伝承が多岐にわたるとも。
ただ三韓征伐の内容に齟齬があっても3世紀~4世紀ごろの朝鮮半島への侵攻と同半島の動乱が相次いだことで様々な人流が発生し、その当時に畿内に多数の渡来人がやってきていて保久良神社の沿岸で多数の豪族とその古墳が溢れたのも事実だったりと。
ヘボソの歌も含めて丘陵部に機織り生産が進み、保久良の祖先がハバキリやクサナギなど良質の鍛造鉄武器を提供して中央集権の大きな力・後ろ盾になってのも事実でしょう。
そうした格差や口伝伝承などが宝物伝説に結び付いてもおかしくないのかもしれません
政敵の首が6つとか大きくは二人の皇子の名前しか出てないのに残り4つはどこからもってきたよw
失礼。石宝殿(六甲山神社)は全然違う場所。もっと六甲の車道まで登らないといけない。
どちらにせよ金鳥山と金鶏伝説は別物とすべき。
そも何でヘボソ塚(扁保曽塚古墳。別名筬塚古墳/業平塚古墳)の近辺(字マンパイ)が…
「岡本の袁佐婆(おさば)に立てる扁保曽塚、布織る人は岡本にあり」
上記のように摂津名所図会にて町歌として残るヘボソ歌にあるオサバ(筬場=織部)が近場の字スダレ等からも織物で栄えたからといって、どこからこの歌が金鶏伝説や金瓦伝説(業平の父阿保親王絡みか?)そのヒントになってるとか思ったのかは謎。どこかに書いてあったんか?
あと全然かんけいないの
https://www.manyo.jp/ancient/report/pdf/report2_03_yamabe.pdf
元は保久良山谷にある山神社から山部(山の民)、山守部(山林の司)を探っていく内に…
・山部の祭神は大山津見神(海部は大海津見神)
だが山部の皇祖としては菟道稚郎子(大山守神)
最終的には伊予来目部小楯が山守部の長となる
山部氏、山直氏など南播磨の豪族で法隆寺(
聖徳太子)との縁が強い
太子といえば母父共に蘇我の系譜で波斯(はし
ペルシャ)の血が入ってるとか何とか。正倉院
にはソグド文字が入った太子という香木もあり
シルクロード交易があっても可笑しくない
あと姫の一人に膳部菩岐々美郎女という
海部と関わりの深い膳部(高橋氏)の姫がいる
・海部、海人とその長としての安曇氏(阿曇連)
・仁徳天皇皇子の住吉仲皇子の事変と阿曇浜子
・同事変において倭国造の祖である倭直吾子籠は
娘を差し出し赦免。この頃には既に瀬戸内では
なく奈良大和に勢力をおいてる
ちなみに倭氏の氏神は倭大国魂神でお伊勢さんが
有名だがもう一翼を担う国魂で荒魂。大国主命と
同一とされるが果たして?宮家の祭事では手を
つけられないため倭氏が直接管理することに
そのため天津神から国津神の地位になる
・海部は韓国南東系をルーツにもち伊予・讃岐型の
古墳として系統がわかるとのこと
古墳形式は吉備/伊予/讃岐/大和(奈良)
などで分類できるらしい
前にもどっかに書いたけどヘボソは由来不明だが、横浜の新治地域ではカラスビシャク(半夏)をヘボスやヘボソと呼んでいるとの伝もあるが…流石に地域が違いすぎるだろうなぁ。
魏志倭人伝における夏朝、禹の子孫、小康の庶子(無余)が引かれこの記載を「先例として引いた」ものか「縁者として慣習が伝えられる」とみるかで浪漫が割れる。
後者の場合は禹の子孫が伽耶を辿り更に東にながれ海部と成ることに。
東方といえば始皇帝による徐福の蓬莱派遣も忘れてはならない。
こちらは紀元前200年代といわれるが道程は渤海から蓬莱に至るとされるが見つけられず更に東に向かったとされる。つまりは朝鮮半島の東~南東部あたりになり、そこから更に東に達したとしても不思議ではないのでは?
てか海部の祖たる珍彦(宇豆彥)も青亀に乘って海を渡っている神武皇后と出会うのだが青亀は霊亀に通じその背に蓬莱山を頂くわけで、年代的には紀元前200年ごろの徐福蓬莱伝説と更に過去にさかのぼり越王の祖無余の民が辿る道のりとが掛け合わさる訳で、それらが伽耶で巡り合い瀬戸内に流れ込む様は何ともロマンが滾る。
てか前にも書いたかもだけど未だにザフクやザクはジョフクから変質したのでは?マンバイも何か関係するかもしれないとココにも浪漫がw
ふと異世界ものやファンタジーモノでいつも九尾が悪役ポジだけど…
九尾って鳳凰・麒麟・竜・霊亀と並び徳王の治世に現れる瑞獣で漢王室では守護獣なんだけどなぁ
そして霊験は辟邪で肉は退邪となってて結構哀れな印象も。
豊宇気比売神(トヨウケヒメノカミ)
元は綱敷天満宮つながりでお太子さん由来の「蒼稲魂」、つまりは倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)を検索してたんだけど、お稲荷さんは本当に同一神というか色んなモノが集合しすぎてて、面白いのは「御膳神/御饌津神(みけつかみ)」の文字が「三狐神(みケツかみ←キツネ>ケツネ>ミケツ)」があてられる様。
他にも「三狐神」自体が(ミケツカミ)であると同時に(サグジ/シャグジ/ミシャクジ)と同一と見なされる点。「石神/岩屋(シャグジ)」でありいわば磐座や道祖神にも通じコチラの方が太古の神々だと思われる。
それは兎も角…
トヨウケノヒメを辿っていくと気になるのが
・稲倉山に居られ飯を盛った
→売布神社周辺の山とも。となれば恐らく
中山寺のある中山周辺の事か?文献なし
そも売布神社自体が比定によるもので元は
貴船社であり本来の売布神社ではない
可能性も
→ついで直ぐ南は廣田神社で、祭神も
天照大神の荒魂だし創建由来も神功皇后
由来な上に元社領の六甲山系は三韓時の
神功皇后に纏わる伝説多数で山上や
分水界毎にもククリヒメをはじめ女神
多数で阪神間は女神由来の地がふんだんに
鎮座する場でもある
・その後語れぬ事情あり丹波の国
比遅(ひじ)の麻奈葺(まない)に移った
→今の京丹後にある比沼麻奈為神社
というお話が。
習合ゆえにウカノミタマノミコトとトヨウケヒメノカミは別神とは思うが、こうして実在故の所在の点在を見ると実感としてわく。
トヨウケヒメといえばトヨ(台与)/イヨ(壱与)という卑弥呼の姪だったとも言われる後継女王と年代や音が通じるという点で充てられる事も多い。
ちなみに卑弥呼の方はヤマトトトヒモモソヒメノミコト(倭迹迹日百襲媛命)とされる事が多い模様。え?だれそれ?みたいなネームバリュー格差
どちらも実際の証拠・裏打ちのないロマン推定。そこがいいw
卑弥呼=アマテラスで外宮をトヨが埋めるという構図も浪漫的には捨てがたいw
個人的には倭氏族の系列のブイブイ言わせてる様にこれらの神々も名を連ねてる事が嬉しい限り
倭の世に弥栄