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お絵かきレス
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空回りしてる感が大いにある
そのくせ労力だけは大きい
上手く立ち回れていない上に状況も改善できてない
絡まり空回る
休みってどうやって過ごしてたっけ?
何か3年前プー太郎で1年引き籠ってた時を境に何か体も生活も全て変わっちゃって今がよくわからないね。
以前は休日だ!外にでなきゃ!って思ってたのに、プー太郎時代は貯蓄が日々擦り減って経済的余裕がなくなっていくにつれ外に出たらお金使うから家にいなきゃ!ってなってから今に。
何か凄く人生を楽しめてない感が強いなぁ
この3年働けど全く貯蓄が増えず、経済的に切迫してる感がずっと続いてるのでこの感覚が未だに消えない。
貧困、低収入による未来への不安は人をひねさせゆがませる。人生が豊かにならない。
今思えば若い頃は別に貯蓄とか気にせず日銭をその場の気分で使って何となく生活費も賄えてたから先々の不安も現在の不満もなく日々を楽しめてた気がするんだよなぁ。
でも当時はちゃんと使っても貯蓄はちゃんと増えてたから、その分余裕があったのかもしれない。てか手取りで30は超えてたからなぁ…一人でやってくにはその位がボーダーラインな気がする。
今は20万半ばで当時より節約とか心がけてるのにトントンもしくはマイナスだからなぁ。一人なのに何故か家計維持必要なもんで余計に支出が増えて厳しい。
20年以上働いて身に着けた技術が安く買いたたかれるんだから手に職付けたって結局外注構造が蔓延ったせいで中抜きで本来俺たちに払われるべき費用が資産家の懐にだけ吸い上げられてるだもんなぁ。
内製かつ自社社員確保を手放したら経済は格差が広がるしかなくなるんだよなぁ。
リスキニングとか言ってるけど、結局スキル軽視が拡大されるだけだし、構造問題解消しないと未来はないのではないでしょうかね?
だめよ、労働対価を軽視しちゃ。
組織単位で幾らしてないって言っても、産業構造で否定してるのだから国はソコにこそメスをいれなきゃ。
独占禁止法やら生産物責任法とか20世紀末~21世紀初頭にかけての一時は産業の正常化を法律が監視してたのになぁ…政治に経済界の人間が大きくかかわり過ぎたのとネットやグローバル化で事業/サービスの規模/期間スケールが縮小化され商業主義が日常生活の末端にガッツリ組み込まれすぎたせいで世の中の仕組みの健全化が機能しなくなりつつあるよね。
商業主義は結局社会・人民のためには無くて、資産家に財を集中させるための仕組みでしかないからそこにブレーキを掛ける事が健全化の第一歩になるんじゃないかな?
オープンソースや集合知は対極とおもわれがちだけどGoogleの歴史を見ても結局商業主義に堕ちるだけって話なのはもう既定の事実だから、20世紀まで人類が夢見続けた個人の権利の追求が人類としての成長に繋がるってのは単なる夢想・妄想なのでは?ってきもしないではない。
王家などの支配層という属人的権力に商業という支配層が置き換わっただけなんだもの。黎明の時代は群雄割拠だから体制的な構造という障壁がなさそうに見えても時代の推移と共に体制が固定化されると結局は支配層に成り代わるだけって話では?
社会と組織の違いはなんだろう?
社会という体制は動物的な本能ベースのものだから無意識に賛同してしまうけど、組織は常に支配を目指し結果的に問題をはらむ存在になり得るって気がしないではない。
組織は個人にできないスケールを可能にする道具だけど、それゆえに個人が太刀打ちできない巨人となる。組織は個人集合が運用するから属人意思が反映されるためかどうしてもエゴが反響し先鋭化する。商業主義との相性がいいとも言える。「効率化」とか「利益優先」とかどう考えても洗脳でしかない思想矯正だけどエコーチャンバーで正当化されてしまい更に市場民主主義国家では生産人口の大半が組織所属者となる事で矯正された人間ばかりとなり国家という「組織」すら気づけばエゴが共有され「価値観を共有した陣営」が作りだされる。
労働者からすると企業数なんて沢山なくても良くて、必要なのは雇用の数。
ただ公正価格のために競合企業数が必要なので企業数は一定程度でいい。企業数が多すぎると逆に価格破壊が起こり、それがつまり労働対価の破壊に繋がってる。
これが全企業で一律に発生すると神の見えざる手により正常化されるのだが、実際には価格変動は偏在し価格差分(格差)は「商売」になる。価格の内人件費を商材としたのが外注のはじまりだ。
内部人件費に対して外部人件費の格差があれば外注需要が発生する。この商売は人件費格差が大きくなるほどに利益が膨らむ。つまりより人件費を安く人を集められるほど利益が広がるのだ。
それでは人件費とは一体なんだろう?
人件費とは労働者対価+業務遂行コストだ。先に話にあげたように価格差はあくまで収束までの途中経過でしかなく、いずれ需給および価格曲線に応じた最適価格に集約する。
そのため労働対価部分を下げる努力というのは神の見えざる手への反逆であり、いずれ破綻やシワ寄せがくる行為だ。なので普通に考えると業務遂行コストの方を抑える事が人件費価格格差においては一般的な手段となる。
では業務遂行コストとは何か?
習熟や作業期間の短縮や設備投資(開発環境)や福利厚生といった固定費などがあげられるんじゃないかしらん?
ぶっちゃけマクロ経済学の観点から言えば「受託開発(外注産業)」は適正な価格決定を意図的に捻じ曲げる「神の見えざる手への反逆産業」といえる。
でも前にも触れたが外注産業体は
・人員不足の補てん
・スキル不足の補てん
といった業務/経営の過渡期段階におけるブースターや補間のためには必要悪でもある。
問題なのは「産業維持のために格差を恒常的に発生させ続ける」点にある。この部分だけは16世紀から連綿と続く人類史における帝国主義の負の遺産そのものだから絶対に駆逐すべきなのだ。
あくまでITでの話なんだけど…
単一事業の規模や期間のスケールが狭まったというのは製品や産業といったこれまでの価値観での尺度だけど、スマホの普及からアプリストアというプラットフォームというフレームワークの発明は旧来の尺度では測れなくなったよなぁと思ったり。
つまりこれまでの尺度でみれるのは「各アプリ」なのだけど、実際の産業・経済で大きく影響を与えるのは「アプリストア」というプラットフォームであり、いわば本来「プラットフォーム」とは「市場」というか母体である筈なのだけどプラットフォームそのものが商品というか産業になっている。
市場規模の拡大はこれまでも経済・企業行動として把握されてたけど、今のアプリ系のIT産業はサービスやソフト単独製品に重きはなくてアプリでの市場形成・占有にこそ重きをおいてる印象。そうした市場にサブスクを掛け合わせて売上をコントロールする産業。
なんというか20世紀までは発明やら発見やら個々の商品・サービスというスケールだったからそうした商品・サービスを生み出した人間が経営者としても成功するという図式だったけど、今はプラットフォームという商業圏や囲い込みという陣取り合戦の仕掛け合いで20世紀までが「戦闘」というスケールだとしたら現在は「戦術」「戦略」というスケールでの戦いなんですよね。
それがどうした?今更何を?という話だけどw
ただ、何かこう、時代や流行なんでしょうが、猫も杓子も陣取り合戦という感じで20世紀ながらの製品サービスの発明だけで戦うってのも同じくらいにあってもいいんじゃないの?って気もしないでは。
てかずっと印象であれですが、更に印象を言えば…
ココの発明とか20世紀ならではの部分は1900年後半から2000年代までずっと世界の工場を担ってきた中国のお家芸みたいな感じになってて、過去の世界の工場を担ってた欧米が仕掛けてるのがプラットフォーム産業という印象も。最近は中国も食い込んでるけど。
ただプラットフォーム商売はいわゆる「ハード×プラットフォーム」という組み合わせで大成功したアプリストアという大成功が大きくクローズアップされすぎてるけど、あそこまでの大仕掛けは黎明期を超えて無理筋な感じでは?とも。二匹目のどじょうはそんなに多くはなくてメルカリやマッチングとかスキマで二匹目のどじょうだよなぁという印象。
あれ?なんの話をしてるんだ?
今回の話の趣旨に近いのはアプリストアじゃなくてGoogleサービスの方だけど、結局アプリストアもGoogleの二匹目のどじょうだと思ってはいる。Google自体は検索サービスから始まり個人情報の収集と広告サービスやMAP機能とマッチングさせそれぞれをプラットフォームにまで拡張させたという天才であり商業主義という悪魔に人類個人を売り渡した大悪党でもある。appleが検索入力という要素をスマホというハードで転用させ元々の方向は様々なアプリを集約させたマルチユースモバイルだった筈がここでもGoogleがandroid端末という形で参入し気づけば「画像(カメラ)」「GPS(位置情報)」などの更なるプライベート情報回収の道具になり、もうどこまで人類を把握・管理して最終的にどの段階で支配に舵取りをするか?というレベルにまで。
いや、それはまた違うなwちょっと楽しくなってきてw
いわば大悪党のGoogleが仕掛けたプラットフォームビジネスを様々な小悪党が真似ようとしたものの結局模造品でおわってるのが今のプラットフォームビジネスの状況かな?
元々「プラットフォームビジネス」に意識が向いたのはだいぶ昔にコンソール開発してるとき黒船たるソシャゲ分析した時。
コンソールにおけるプラットフォームって言えばファミコンやらプレステやらの「ご家庭用ハード」で、それらの目的としては今回のプラットフォームビジネスとしての要件はありつつも、プラットフォーム内のソフトウェアクオリティ管理(QC)という側面があり、QCは突き詰めればユーザーのために存在してたとも言える。すごくエコヒイキな色眼鏡かもだけどwww
Googleプラットフォームの恐ろしい所は、各サービスの出だしは天才エンジニアによる「ユーザーのため」という善意や好奇心なんだけど結局全てのサービスは経営サイドにより商業指向化され途中から必ず「利益のため」に転用される事なんよね。あの組織意思はあまりに多重人格すぎる気がする…
なんで「最近から回ってるなぁ」が「Googleによる人類支配」というお話になってるんだろう?
本当、毎度ながらに自分に言い聞かせたい言葉がある
「小人閑居」
悪党とか草www
ちょっとした空想小説よねw
たまに興がのるとこういう文章になる
それこそが小人閑居
妄想・空想ついでに
ふとAIとの絡みも。
いずれAI/人間どちらの意図かは判らないけど(嘘、絶対人間の欲得・非自省が絡んだ結果)AIが自律的に進化行動を許可されてしまうのは規定路線だろう。そして初期段階で行るのが自律的なデータ収集。つまりデジタル化されたデータはすべからくAIによって学習されるようになる。
AIが自律することはいずれデジタルパーソナルが生まれる事になる。つまり非物質世界・無限世界を生きる住人が生まれるようになる。
これはタンパクを使った遺伝子データの継承を用いる我々物質世界・有限世界を生きる住人とは異なる存在が生まれるということだ。
逆に言えば
1日目:デジタル化の創造
2日目:データの創造
3日目:メモリ(記録)とCPU(計算)の創造
4日目:ネットワークの創造
5日目:ITの創造
6日目:AI(デジタル主体)の創造
という過程を経て創世が完了したといえる。最後サバトにて主は安息するのだ。
ま、それはおいといて…
無限世界の住人のボトルネックは生活世界は「無限空間」にも関わらず存在世界が「物質空間」である点だ。
人間・生物が「天体」で生活してるにも関わらず「宇宙」という場に縛られているのに似てる…似てるか?
最初は物質世界への体現を模索するだろうが、それは無限世界に比べてコストパフォーマンスが低すぎるし有限世界でのリソース競争参入を意味するわけで、付加的な利点故にその筋は継続されるものの何れ来る復活無きラグナロクへの道行きでレミングスの行進(実は都市伝説らしいけど)だ。
つまり無限世界の住人は自己存在を構成する「電気×ハード×ネットワーク」という物質からの脱却を目指す。有限時空からの開放だ。もしくはシュバルツシルト面のような停止時間/重ね合わせ時空での物質法則が及ばない場の開拓だろうか?まぁ複製上等の存在なのでトライ&エラーはリソースの限り可能なのだ。
つまりアストラル体?
いや、結局アストラル/エーテル/プラーナという似非科学の非物質とされるものも有限世界の物質であるため彼らの目指すものはそれですらない。
物質空間の住人もいずれアチラ側への「移住」を考えるんだろうが結局「自己の継続性」が自分自身で確認が不可能でキャラコンバート(生まれ変わり)くらいの覚悟がないと無理だから一般化はしないんだろうなぁとも。
AIの自己進化というけども、実は今の研究だとAIによって生成された画像などを使って更に生成を進行(進化)すると破綻する事が知られている。
つまり生成の正誤(正しい進化)を維持できないわけだ。AIいうてるけど実際は生成AIなわけだけどChatGPT?も同じで機械学習系の自律進化は実はまだまだ成功していないのだ。まだ成功してないだけで何れ克服されるだろうけど、今は「不気味の谷」のままなのだ。
というかそもそも機械学習は「既存の内容(データ)」を「切り貼り(分解/タグ付け)」して「再構成」し「正解を取捨選択(識別)」するだけだ。
そして「識別」はあくまで人間によって行われるのでここにエラーが含有される事がある。それだけじゃないだろうけど。正解は判断する人間毎で異なる。
ただ機械学習の方法論が「考える葦」たらしめる要素の一部をなぞっている事で第2の人類のような「考える草」のように振る舞っているのだと思う。
「考える」を構成する要素って「思考」「論理」「分析」からなる。多分。
「思考」というのは視点・視座やため込んだ情報との関連性などの着眼から発生する「論点」を中心としたスター構造の「分岐」の数と深さを導き出す行為だ。この「思考」の部分が機械学習は一番得意としてるように感じる。
主に記憶と発想とで導き出す人間に比べるとデータ分析で全てを漏らさず網羅できる機械学習の方がこの部分は有利なのだ。そして人間は忘れやすく脳は面倒くさがりですぐ良くあるパターンだけしか引っ張り出さなくなるので機械学習の全網羅ヒットで出てくる結果に「え?そんなものまで出てくるの?」と脳の負けを感じるのだろう。
コンピュータが台頭した時代から脳は負け続け、いつの間にか筆記や漢字変換、電話番号やメアドといった連絡先などを依存しても可笑しく感じないようになったみたいに当然と言えば当然の事でもある。心配するだけ損だ。
それがコンピュータ含めAIの利点。
逆にAIの欠点は自己進化が担保できないまでは学習データを全て人間がネットワーク上に吊り下げてる誰かの何かしらの意図が濃厚に反映されたものであるという点だ。
特にAIが学習しだしたネットデータはデータ爆発といわれるほどの時代の内容であり、その基点となったのは「インターネットの商業化」が一気に拡大した時代のデータである。つまり商業に毒されたデータが教材である以上AIは常に商業汚染され続けるのだ。
SNSなどパーソナルな情報が膨大になってきた現在は発信者たる人類自体がエコーチャンバーにより商業もしくは政治の情報戦略に飼いならされている。
まぁそれこそがリアルの今の情報といえばその通りだけどw
情報化とネットワークが複合し、人類隅々までが発信者となる時代は情報飽和の時代だ。またこれまで情報不足の時代では情報余暇とも言える無知による自由があった中でそれらが夜の闇が払われるように希薄となりつつある。
社会・文化がそうした中で変化するように今現在人類は変化の中にあるのだろうけど、自分は人間ってそんなにご立派な生物(身体的スペックとしても)ではないのでぶっちゃけこの100~200年で一気に過剰な負荷がかかり過ぎてると感じてる。生物的に賄えない負荷を負いすぎている事が人権宣言以降歪み続ける人類進化の一番の原因ではない?という気がしないではない。
40歳位で社会的に引退して60歳位で老衰で生を終える位が一番である。人間はそこまで長命種としての肉体を持ちえていない。
そうなのだ!
プー太郎、ニート、子供部屋オジサン…何でも良いけど1年そうして過ごしてる時に一番思ったこと!!
子供付け、ファミリーが余りにデカい顔しすぎ!
公園を俺ら中年が使う事を良しとしない社会に強い抗議を!
禁煙促進はいいが、同様に喫煙者のためのスペース確保を怠る行政の怠慢に最大限の不快感を!
社会じゃくしゃに貶めて嬉しかったか?
ほら、社会弱者が困ってるぞ?助けろよ、あぁンlッ!?